ある在日コリアンの位牌 -22ページ目
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ヨン様道


著者: 八幡 薫
タイトル: ヨン様道

 みなさま、すごい本が発売されました。その名も「ヨン様道」。とうとうヨン様が「」となりました。「ヨン様は一個の哲学である」って感じです。すでに「道」を探求された方々も多いと思われますが、道を極められた方も、これから極められる方も、是非、一読なさってはいかがでしょうか。
 ついでに? 下記↓のような本もあります。


著者: 小倉 紀蔵
タイトル: 韓国は一個の哲学である―「理」と「気」の社会システム

もうすぐキックオフ。アジア最終予選「北朝鮮×日本」

 今日の午後7時半から、アジア最終予選「北朝鮮×日本」の試合がはじまります。もうすぐですね。サッカーのことをまるで分からない私が、サッカーのことを書くのもおこがましいのですが、以前、北朝鮮サッカーに詳しいスポーツライターに聞いた話を一つ。
 そのスポーツライターの話では、北朝鮮チームは、ここぞというときのシュートが少ない、決定打が出ないと言うのです。ゴール前、肝心なところで、パスをするというのです。それはなぜか? 要するにシュートミスを恐れているからだそうです。
 日本の選手でも大切な試合でシュートミスをすれば、後々、マスコミやファンなどから何を言われるかしれません。特に北朝鮮のような体制では、肝心要でシュートミスしチームが敗北したら、それこそミスした選手に大変なダメージが降りかかるため、思いっきりのプレーができないというのです。さて、今日はどうでしょうか?
 
 ところで、今回の北朝鮮国家代表の中には、日本の朝鮮学校に通っていた選手が2人いますね。一人は名古屋グランパスエイトの安英学(アン・ヨンハッ)選手(26歳)、もう一人はサンフレッチェ広島の李漢宰(リ・ハンジェ)選手(22歳)。
 2人とも感じのいい選手だと思うのですが、2人のテレビのインタビューなどを見て思ったことがあります。
 安英学選手は、北朝鮮の国家代表であるけれども、日本でプレーしていることを意識して話をしていました。実際、日本で生まれ育ったので、日本との繋がりは切っても切れないものがあるでしょう。一方、同じように日本生まれ、日本育ちの李漢宰選手には、そういう雰囲気が感じられませんでした。非常に北朝鮮の国家代表であることを意識しすぎていて、あまり日本人の共感を得られなかったのではないかと思います。彼にも地元、広島で応援してくれる友人や近所のおじさん、おばさんなどたくさんの日本人がいると思います。
 完全に損してますね(笑)。「共生」というキーワードは、日本人も在日も意識する必要がありますね。あと、有名人には、インタビューなどの受け答えをコーディネートする人が必要だと感じさせてくれた一コマでした。
 さあ、キックオフ、いい試合になることを望みます。私は見ませんが(笑)。


著者: サイモン クーパー, Simon Kuper, 森田 浩之
タイトル: ワールドカップ・メランコリー

ペヨンジュン写真集


著者: NoData
タイトル: ペ・ヨンジュン写真集「像 THE IMAGE VOL. ONE」 A. The Traveller/secrethysteric Documentary DVD 付き

 高額にもかかわらず、ネット販売で、あっという間に10万部を完売した話題の写真集。ヨン様の威力を感じさせます(ファンの威力といったほうが正しいのかもしれません。うん?)。

秋の童話

 私が韓国ドラマに嵌るきっかけとなったドラマ。美しい風景と人物たち。見てない人は、騙されたと思って是非、見てください。かなりお勧めです。

★★★★★

タイトル: 秋の童話 ~オータム・イン・マイ・ハート~ DVD-BOX

著者: オ スヨン, 宮本 尚寛 タイトル: 秋の童話

アーティスト: ジョン・イルヨン, ユン・チャンゴン
タイトル: 秋の童話 オリジナルサウンドトラック

「朝鮮語」という表記。大学関係者、注目して下さい!

 私が、以前から違和感を感じていたものに大学での「朝鮮語」という表記があります。特に強く違和感を持つようになったのは、韓国からの留学生と話をしたとき、日本で朝鮮という表記が多いことに不満があることを知ったからでした。
 韓国では、歴史的(朝鮮時代など)なことを除いて、日常生活で朝鮮という言葉が使われることは、まずありません。朝鮮半島は「韓半島」だし、朝鮮語は、もちろん韓国語となります。朝鮮という言葉は、韓国の大手新聞社の一つである「朝鮮日報」など固有名詞に使われるものが数個あるぐらいだと言っていました。
 私が、この留学生と話していて、とても同意することが多かったは、私も疑問を感じていたことがあったからです。それが冒頭に触れた大学での「朝鮮語」という表記です。
 
 現在、日本では、大学ばかりでなく民間の語学学校でも韓国・朝鮮語の学習者が増えています。その学習人口の90%以上は、韓国式の言葉を習っており、朝鮮式の言葉は、朝鮮総連系の子弟が通う朝鮮高校や朝鮮大学校などの限られた教育機関だけです。
 しかしながら、日本の多くの大学では、例えば「東京外国語大学」や「大阪外国語大学」など言語を中心として学習する大学でさえもが「朝鮮語」という表記を使っているのです。これでは、誤解を与えかねません。
 そういう誤解を受けないようにする手段として、大学によっては、「コリア語」(東海大学外国語教育センター)や「韓国朝鮮」(東京大学地域文化研究学科)と併記するところ。また天理大学のように2003年度より、それまでの朝鮮学科からアジア学科「韓国・朝鮮語コース」と名称の変更が行われている大学もあります。
 最初から、韓国式の言葉を学習することがはっきり分かるように、神田外国語大学などは、設置された当初より「韓国語学科」だったと思います。
 このように、日本の大学では、ほとんどの人が韓国式の言葉を学ぶにもかかわらず、表記が混在・混乱しているのです。
 
 これは、大学の学部・学科に限ったことでなく、一般教養科目の選択として韓国・朝鮮語を開設している多くの大学でも同様です。「朝鮮語」「韓国語」「ハングル」「韓国・朝鮮語」など大学によってその科目名は多様です。
 
 私の意見は、歴史などを特にあつかわない、言語中心の場合、その表記を(韓国式の言葉を教えているのなら)「韓国語」あるいは「韓国・朝鮮語」と並列するか、東海大学のように「コリア語」などの統一的な表記を使用するのが望ましいということです。
 東京外国語大学などの単独で「朝鮮語」という表記は、受験生や対外的にも誤解を与えています(それとも東京外国語大学などは、朝鮮式の言葉を教えているのでしょうか? それならば「朝鮮語」で的確だと思いますが)。
 私は、個別の大学を非難する意図を、まったく持っていませんが、ほとんどすべての大学で韓国式の言葉を教えながら「韓国・朝鮮語」と並列さえしない大学は、関係者の無神経ぶりを露呈しているのではないかと思ってしまいます。


著者: 安岡 明子
タイトル: 冬のソナタで始める韓国語


著者: NoData
タイトル: ユンソナの 韓国ドラマでLet`s!ハングル

北朝鮮にお金を送るということ。

 私には、北朝鮮に親戚がいます。亡くなった父の姉(伯母さん)の子供、私にとっては、従姉(いとこ)となります。一度も会ったことはありませんが、いま70歳を超えたでしょうか。 父は5人きょうだいの末っ子で、父の姉(長女)の子供が1960年代に北送船で北に帰ったのです。だから、従姉といっても私と随分、年が離れています。  
 
 北から手紙が日本に来るようになったのは、1990年代中盤からで、当時、北の経済状況が悪化し、餓死者が何十万、何百万と出たと報道されていたときでした。 
 相当、状況が厳しかったのか、北からの手紙には、具体的に「お金を送ってほしい」とは書かれていなかったのですが、一読すると、すぐに送金してほしいことが分かる内容でした。 
 朝鮮総連系の信用組合(朝銀)を使って、親戚同士お金を出し合い、数百万単位の送金をしたことも1度ありました。その後、日本各地にあった朝銀は破綻し、公的資金が投入され、統廃合を繰り返す過程で、日本から金融機関を通じて北にお金を送る手段は、実質的に不可能となりました。  
 
 その従姉には、日本で生まれた子供が3人、そして、その後、北で生まれた子供1人の計4人の子供がいました。 そのうちの3人は、すでに40歳手前で死んでいます。胃病ということですが、私たちには、すぐに餓死だと分かりました。そして、ただ1人残った、従姉の子供も、昨年末に来た手紙によると、現在、胃病に苦しんでいるというのです。 
 今の北朝鮮は、アフリカの最貧国と同じです。1960年代を中心として、朝鮮総連の「地上の楽園」というプロパガンダにのせられて、何十万という在日が北送船に乗って、北に渡りました。韓国民団は反対運動を繰り広げましたが、日本政府は、在日を追い出したかったために、朝鮮総連の運動を「人道的である」として積極的に後押ししました(日本政府が在日コリアン・北朝鮮より先に国際機関に働きかけた資料を2004年、テッサ・モリス=スズキ氏が発見。検索すると著書が出ます)。 
 結果、多くの人が飢えで死にました。政治的に粛清された人もたくさんいると聞きます。私の家は、民団系だったので、父は、北朝鮮に一度も行くこともなく、死ぬまで北の親戚のことを気にし、お金を送り続けていました。 
 また、その当時、何千人という北に渡った日本人妻、その人たちは、その後どうなったんでしょうか?

 朝銀の破綻により、北朝鮮に金融機関を通じてお金を送れなくなってから、3年程前ある不思議な手紙が北の親戚から送られて来ました。その手紙には、北朝鮮へのお金の送り方が詳細に書かれているのです。まるで当局の指導・マニュアルに基づいて、書かれているかのようでした。
 父が亡くなってからは、私が2度、そのマニュアルに基づいて、僅かですが、数万円単位のお金を送っています。北の当局にピンハネされている可能性もありますが、親戚には、手元にお金が届いたら日本に確認の手紙をよこすように言っています。
 私のこのような行為に、ある在日の友達は、否定的な反応をしました。理由は、「そのような(私の)行為が、北の体制の崩壊を遅らせ(延命させ)、現在、苦しんでいる北の人々を、結果的にさらに苦しめるから」というものでした。
 実際、そういう側面もあるのかもしれません。
 しかし、何もしないのは、できません。特に父が北の親戚のことを気にしていたからです。一方で、私の母は、父が亡くなってからは、北の親戚に気をとめません。母にとって肉親ではないからです。分かりやすいです。そして、私もまた、親戚のためにお金を送るのが第一の理由でなく、親孝行できなかった父の供養を込めて、北の親戚にお金を送り続けるつもりなのです。私もまた分かりやすい人間です。


著者: 萩原 遼
タイトル: 北朝鮮に消えた友と私の物語

天国の階段

 ありえない展開に、毎回ハラハラドキドキ。どっぷり嵌ります。毎週土曜日フジテレビで放映中。フジテレビホームページの週間アクセスランキングでも3位に入っています。
『天国の階段』パーフェクトラブネックレスネックレス シルバー 『天国の階段』パーフェクトラブネックレスネックレス シルバー

タイトル: 天国の階段 DVD-BOX 1

タイトル: 天国の階段 DVD-BOX 2
 
著者: パク ヘギョン, 金 重明
タイトル: 天国の階段 (上)

著者: パク ヘギョン, 金 重明
タイトル: 天国の階段 (下)
 

アーティスト: TVサントラ, イ・ソア, ジャン・ジョンウ, カン・ウジン, イ・クンヒョン
タイトル: 天国の階段 オリジナルサウンドトラック

著者: 市吉 則浩
タイトル: 「天国の階段」をもっと楽しむ本

冬のソナタ

タイトル: 冬のソナタ DVD-BOX vol.1

タイトル: 冬のソナタ DVD-BOX vol.2

 韓流ブームのきっかけとなった「冬のソナタ」。ドラマの中にちりばめられた美しい言葉たちが、懐かしさと熱い心情を呼び起こします。

映画「パッチギ!」。ネタバレあり。


著者: 朝山 実, 羽原 大介, 井筒 和幸
タイトル: パッチギ!

 今日、新宿・歌舞伎町で井筒和幸監督の「パッチギ!」を見てきました。パッチギといのは日本語で「頭突き」という意味です。1968年の京都を舞台に、朝鮮学校に通う朝鮮人高校生と日本の高校生たちの青春を描いた作品です。
 
 朝鮮学校・学生を舞台した映画と言えば、私が見た中では、「青~chong~」(李相日監督、1999年)、「GO」(行定勲監督、2001年)などを思い出しますが、前評判どおり今までのものより、個人的にはずっと優れた作品だと思いました。
 
 当時の日本の時代背景(学生運動、社会主義、ヒッピーなど)や在日朝鮮人の状況(差別、北朝鮮への帰国事業など)、朝鮮学校と日本学校の学生たちのケンカの様子、また難しそうな政治的な説明や背景が、嫌味なく要所要所に挿入されています。
 ケンカのシーンを多用しながらも、恋愛、友情、家族、民族、国家など、色々なことを考えさせられる作品でした。笑いあり、涙あり、沈思熟考することありで、映画の構成も非常にバランスがとれていたと思います。
 
 私は、在日韓国人2世で、小・中・高・大と日本の学校に通っていたので、朝鮮学校・学生との接点がまったくなく、朝鮮学校の様子や学生の考え方などの部分では、たぶん日本人と同じような視点・興味を持って、映画を見ていたところも多いと思います。
 実際、私のような在日2世・3世・4世が在日全体の80%以上を占めているのだから、朝鮮学校に通う在日は少数派といえます(但し映画のテーマとしたら、その方が新鮮なのかもしれませんが)。
 ただ、次回、在日の若者の映画を見るなら、(在日のほとんどがそうであるが)日本の学校に通う在日(多数派)や、朝鮮総連系の朝鮮学校・学生が舞台でなく、さらに少数派となりますが、民団・韓国系の韓国学校(4校しかない)に通う若者の青春像などを見てみたいです。
 どなたか撮ってもらえませんか?(笑)

 最後に、この映画で印象的だったものが二つあります。 
 一つは、映画の中で重要なファクターとなっている「イムジン河」という曲です。この曲の歌詩の中で「ネ コヒャン ナムチョックタン カゴパ モッカニ」とあります。この意味は「我が故郷は南の地(韓国のこと)、行きたくても行けない」となっていて、当時とすれば、軍事政権下の韓国を解放するために北朝鮮人民の心境を表すものだったかもしれません。しかし、時代はめぐり、発展・躍進する韓国と停滞・衰退する北朝鮮へ。 
 現在、この歌の意味が、北朝鮮政府の圧制に苦しむ北人民の、南(韓国)に対する憧れ・希望となっているようにも感じられ皮肉です。 
 もう一つ。最初、北朝鮮に帰国することになっていた朝鮮学校の番長のリ・アンソンが、恋人との間に子供ができたためか、それとも他に理由があったからなのか、数年後のシーンでは、日本で生活していることになっていたこと。 北朝鮮の現在の経済的窮乏と人権侵害を見るとき、もし、最後のシーンで北に帰国していたら、後味の悪い映画となっていたかもしれません。  
 
 この映画は、時代のアイロニーを強く感じさせてくれます。「イムジン河」の歌詩の中にある「水鳥たちが自由に飛びまわる」というフレーズ。人間も、国境・国家を越えて! そんな時代を願います。
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